今回は、玉川さんのご自宅兼工房へお邪魔して、これまでの歩み、こだわりなどインタビューをさせて頂きました。
ポップな色に誘われて、手に取ってみる。
鹿革特有のふわっとした柔らかさと軽さが手に残る。
その感触をもう一度味わいたくて、再度手に取り触ってみる。
そんなバッグや小物を手がける玉川佳さんは、”SCATOLA(スカートラ)”という名前で、活動されています。
イタリアと東京の革バック職人の元で修行した後、2年前に旦那様の実家が近い糸島へ移住して来られました。
それを期に独立し、”SCATOLA(スカートラ)”を立ち上げられました。
玉川さんは2児の母として、働きながら子育てをする事が自分の中で腑に落ちる生き方と語ります。
【”SCATOLA(スカートラ)”は、イタリア語で「箱」という意味。】
「その人の持ち物を運ぶ箱、好きなアイテムをボンボン入れてもらえるような箱=鞄でありたい」
という玉川さんの想いが込められ、修行の地であるイタリアの言葉で名付けられました。
【”SCATOLA(スカートラ)”誕生までの歩み】
小さい時から、何を作るかはわからないけれど、「何かを作る職人になりたい。」と思っていたそうです。
短大を辞め、家具の訓練校に通ってみるものの、何がやりたいのか分からず、瞑想し続ける日々が続きます。
手縫いの革鞄のお店と出会い、ワークショップでバッグを作っているうちに、バッグ作りに興味を持ち始め、24歳の時ついにバッグ職人の道へ進む事を決意します。
「やっぱりエルメスでしょう。」と本場の職人技を極めたいと、単身フランスへと渡りますが、言葉に苦戦しフランスでの修行を断念します。
知人の薦めもあり、修行の地をイタリアへ変更し、バックブランドの下請け工場で働き始めます。
工場では、バッグの型紙職人・サンプル職人を目指して下っ端の仕事から始まり、一日中のり付けをした事もあったと言います。
徐々にステップアップし、目標であったサンプル職人になるまで4年弱、ひたすら働き続けます。
しかし28歳の時、体調をくずした事がきっかけで、日本へ帰国します。
玉川さんがイタリアに渡ってから、一度も日本に帰っていないというから驚きです。
帰国後は、知人の紹介もあり、イタリアでの経験を買われてアパレル系の会社に就職します。
本革ブランドバッグを生産するというイタリアでの環境とは大きく異なり、職人としてではなく、デザイナーと一緒に限られた価格の中で合皮バッグを作るという仕事に携わります。
短いサイクルで使われるバッグにむなしさを感じつつも、限られた条件の中で売れる商品を作るという事に一生懸命努力した、と玉川さんはその頃の経験を語ってくれました。
そして32歳の時、メーカー工場で働き始め、再度現場に戻ります。
そこで玉川さんの師匠であるサンプル職人の元で、イタリアでは学べなかった型紙職人としての技を習得します。
約5年間、その工場でサンプル・型紙職人として勤務したのち、家族で糸島へと移住し、ついに、2015年”SCATOLA(スカートラ)”が誕生します。
【色と革へのこだわり】
SCATOLA(スカートラ)の魅力は、原色の独特な色使いと柔らかい鹿革が使用されている事です。
イタリアを感じさせる、ポップで、パキッとした色を使用し、色の組み合わせを玉川さんは大切にされています。
こだわりの一つとして、
バッグや財布の中身の布とファスナーの色が異なります。
開いたときにファスナーが見つけやすいように、
そして少しでも元気がでるように、
と玉川さんの想いが込められています。
そして、鹿革に対する想いも強く、
鹿革の柔らかさ、肌触りに惚れこんだのがきっかけで、
せっかく使うならと、害獣駆除の鹿革を使う事にされたそうです。
「かわいい〜」と手に取ったものが、「これ駆除された鹿革だっだんだぁ」というリアクションの商品を作りたかったと話してくれました。
同じ鹿革でも、駆除された季節によっても革の柔らかさが異なる為、革の状態をみながら、バッグにするのか小物にするのか決定し、1点1点製作されています。
このように、玉川さんの色と革へのこだわりは、 商品1点1点から読み取れます。
好きな色の組み合わせや革の柔らかさを探しながら商品選びができ、その出会いを楽しめるのが、SCATOLA(スカートラ)の魅力ではないでしょうか。
【これから】
「今は、目の前で気に入ってもらえ、買ってもらえる事が幸せです。」と話す玉川さん。
「まずは続ける事。買って行ったお客さんのリアクション、声を聞いていきたい。そして、ファンを増やしていきたい。」と、これからの目標を語ってくれました。
イタリアと東京で培った経験と技術に加えて、糸島での暮らしの中からあたらしく生まれていく、これからのSCATOLA(スカートラ)の作品が楽しみです。
取材日:2017年10月25日