取材日:2017年11月15日
オリーブをシンボルとして、さまざまな果樹を栽培している、わかまつ農園。オリーブのほか、甘夏、ブルーベリー、イチジク、梅、日向夏など、さまざまな果実、そしてオリーブ茶や、果実を使った精油、洗剤などの加工品、どれも想いを込めてつくられています。
わかまつ農園の商品にはさまざまなこだわりが詰まっているのに、どこか優しい雰囲気が漂います。例えば、ほのかに甘夏の香りがする洗剤は、日々の食器洗いをささやかな癒しの時間に変えてくれるよう。
「癒しの空間作り」が目標と語る、わかまつ農園代表・若松潤哉さん。お話をうかがうと、「癒し」というやわらかい言葉に込めた、しなかやな信念が見えてきました。
【自然とつながる農園】
若松さんが糸島に来て初めて栽培を始めたのが、オリーブでした。オリーブは地中海沿岸原産で人との関わりが深く、栽培の歴史は6千年におよび、聖書にも登場する神聖な木でもあります。
現在は日本でも各地でオリーブが栽培されていますが、糸島で、それも農薬や化学肥料を使わずにオリーブ園を始めるという初めての試み。ナイーヴな木でもあり、ミノムシ一匹が命取りになるとうかがいました。糸島の環境で育つように手入れを絶やさず、大切に育てられています。
一方、オリーブと同時に栽培をはじめたもう1つの果樹が甘夏。オリーブとは対象的に、最小限の手入れでもしっかり育つようで、今ではまるで森の一部かのように自然に豊富に実っている姿が印象的でした。
オリーブと甘夏というタイプが異なるそれぞれの農園を見学すると、一筋縄ではいかない、自然とのつながりの多様さや奥深さを垣間見る思いがします。
広い土地を前に説明をしてくれる若松さん。偶然の出会いから夢が広がる。
【つながりを大切にした生き方】
千葉県生まれ、東京と鹿児島育ちの若松さんは、もともと糸島とは縁もゆかりもありませんでした。東京で会社員生活。30代を前に、新入社員としてやってきた由加利さんと結婚。やがてお子さんも授かり、サラリーマンとして一生懸命に会社のために働いていました。
勤めて12年ほどのこと、思わぬ事態が訪れます。脳に良性の腫瘍が見つかり、入院することになったのです。身体の不調と生命の危機を目の前にして、価値観が大きく揺さぶられました。
「腫瘍をとるときに『あ、死ぬんだ』っていうのを、考えないんじゃなくて、受け止めようと思いました。たぶんその時だと思うんですよね。死というものを、明日いなくなるという感覚を、受け止めたときに初めて考え出しました。ちゃんと未来につなげるとか、自分が何をしたいのかということに向き合って、自分で考えるようになりました」
「死」というものと向き合ったからこそ、「生」ということ、さらには「つながり」というものに真剣に向き合った若松さん。考えた末に生活を一変する決断をし、15年勤め上げた会社を退職しました。
オリーブの実は
9月〜10月に収穫できる。
いちじくの栽培も。
【癒しの空間づくりの構想から広がった】
この頃から若松さんが構想し始めたのは「癒しの空間」をつくること。
「だいぶずっと病んでいたので、『癒しの空間』と呼ばれるものをつくりたいと思っていました。そうするとどんどん、料理はイタリアン出したいとか、観光園、ゲストハウス、イベントもできて、お散歩もできて、海を見ながら寝られるところがほしい…などとという構想が出てきて、そういうものを集約したところを作りたいと思うようになりました。自分がそういうところをほしいと思っていたんです」
現在ではわかまつ農園のシンボルとなっているオリーブ栽培の構想も、「癒しの空間づくり」が原点にありました。
「料理はイタリアンということにどんどんこだわってくると、じゃあオリーブオイルですよね。それなら自分で作ったほうがいいって。そうなると、農業からやったほうがいいよねって」
イメージが膨らむ一方、当初は糸島に縁もゆかりもなく、東京を出てどこに住むかも決まっていませんでした。最初は関東近辺の山梨や長野、千葉などを中心に住む場所を探し始めます。そんなある日、最後の勤務地が福岡だったお父さんに牡蠣を食べようと誘われ、訪ねた糸島で、運命的な出会いが待ち受けていました。
「父の紹介で、またいちの塩の又一さんと知り合いました。(中略)又一さんが『日本中見たけど糸島が一番いい』っておっしゃって。もうそこにコロンと(笑)これで糸島に決めなくてどこにするみたいになって、糸島に来たんです」
【偶然の出会いから見つかった農地】
構想も生まれ、場所も決まり、いよいよ実現に向かって走り出します。ところが、そこからが大変でした。特に大変だったのが、農地を見つけること。地域のありとあらゆる人に声をかけて、「もう無理だ」というくらいに探し回ったものの見つかりません。一時は途方に暮れていたとか。
ところが、最終的に農地を貸してくれたのは思ってもみない偶然の出会いでした。
「犬を散歩している人に声をかけたら、その方が貸してくれたんです。ずっと貸し手を探していたみたいで、2、3年探してたようでした。ひょっこり現れたときに、ちょうどタイミングが合ったんでしょうね」
農地が決まってからも、決して楽な道のりではありません。
サラリーマンだった若松さんにとっては、すべてが初めてのこと。農薬や化学肥料を使わないということも、当初から決めていました。今日に至るまでには人知れぬ数多くの苦労がありました。
現在もなお、変化し続ける自然と向き合い続けている若松さんですが、末の娘さんを膝に抱きながら話すその人柄は、穏やかさや温かさに満ちています。もしかしたらそれは、めざすところが「癒しの空間」だからなのかもしれません。
食べても美味しい甘夏。
ここからも成分を抽出。
【生きることはつなぐこと】
わかまつ農園のWEBサイトに、こんな一文があります。
“色々な形で社会に貢献する。人は人が繋がりみらいにつなぐ。植物は花が咲き実になり、種がみらいにつなぐ。生きることは<つなぐ>ことなのかもしれません”
「つなぐ」ということは、一度は死と直面した若松さんにとって、生きることそのもの。だからこそ、自然のつながり、循環を強く意識しているのだと、お話を通じて感じました。「癒し」と言う言葉にも、表面的なものではない、「つながり」を意識したしなやかな信念を感じます。
買い手との関係もまた、大切なつながり。糸島くらしマーケットはもちろん、遠方のイベントにもファミリーカーに家族6人乗り込んで出張し、対面販売することもしばしば。東京の青山ファーマーズマーケットにも、毎月糸島から出店しているとか。
「癒しの空間」づくりは現在も目標であり、通過点と思っているからやる気も出ると言う若松さん。「もともと専業主婦になりたかったんですけど、(一緒に)やらなきゃいけなくなっちゃって」と笑う由加利さんと、4人の娘さんたちとともに、これからも歩み続けます。